【野球部】〈タテジマバッテリー卒業特集➁〉 正捕手かつチームを鼓舞する強肩キャプテン ~#10 藤野隼大~

チームの大黒柱として左腕をふるい続けた田中誠(コ4=大阪桐蔭)、女房役かつ主将としてチームをけん引し続けた藤野(営4=川越東)。侍のユニフォームにも袖を通し、59年ぶり日本一への立役者でもある2人が自身の四年間に口を開いた――。

最終戦の明大4回戦、四年間を共にしたバッテリーは抱き合い健闘をたたえあった

リーグ後半で伝えた「楽しく振り切ってプレーしよう」

記者の「1年間で最もうれしかった試合は?」という質問に、タテジマを引っ張り続けた主将は笑顔で「最後の試合」と答えた。明大との4戦に及ぶ総力戦を自身の盗塁阻止で制した試合だ。試合後、自身の競技人生で最も多くバッテリーを組んだエース・田中誠(コ4=大阪桐蔭)と抱き合い、涙。「自分の引退試合という解釈では、あれが一番のベストゲーム」と白い歯を見せた。

うれし涙の裏にはその分唇をかみしめた経験がある。2カード目の慶大2回戦、森田(慶大2年=慶應義塾)に1安打完封負け。負けたら優勝の可能性がほぼ潰えてしまう大一番で涙を飲んだ。その後のチームミーティングでは「何としても(残りの)勝ち点3を取ろう」とチームを鼓舞。「「野球はたしかに勝たなければいけないけれど、根本としては好きだからやっているはず。」ということを皆で話しました。「楽しく、振り切ってプレーしよう」と」。

毎試合でのルーティンを尋ねられると、「開始前にグラウンドに一礼すること」。1イニング目に気持ちを入れるスイッチにしていたそう

主将としての1年間は「辛いことの方が圧倒的」

2年次からチームの正捕手を担い、4年次では主将に抜てき。チームに貢献できるプレーを求められること、監督(=溝口監督。90年度卒=湘南)と選手をつなぐこと、時には監督の言葉をも伝えること…。難しい部分の連続だったという。加えて3年の夏から打撃不振にも悩まされ、夏季キャンプ前にはB軍落ちも経験した。「入れ替えの連絡を見た時には「ウソだろ」って。悔しいというよりはあっけに取られてしまって、正直投げやりになりそうな部分もありました」。

B軍落ちの経験から変わったことがある。「蒲谷助監督(76年度卒=富岡)とお話して、「プレーよりもまず主将の姿勢を示していこう」ってなったんです」。声掛けなどを通して、チームを見ながら引っ張ることに注力。A軍を離れた時間ですら、“主将・藤野”を意識し続けた。

「立大野球部は一生の財産」

藤野にとって立大野球部は「一生の財産」だという。
「あれだけ元気のいいベンチって六大学探しても他にない(笑) あれだけ楽しいチームで日本一にもなれたのは、自分の一生の財産なので…。立大の野球部じゃなかったら、最後にあれだけ楽しい野球をやれていないと思います」。明日からは学生野球ではなく社会人としてHONDAでプレー。四年間での財産を胸に、新たな一歩を踏み出していく。

(3月31日・桒原由佳)

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