【アメリカンフットボール部】Rushers4年生全員取材企画始動

練習中、笑顔を見せる黒田(法4)

Rushers4年生全員取材企画第一弾として取材に応じてくれたのが黒田だ。
このチャーミングな笑顔の裏には壮絶な苦悩と挫折が隠されていたのが今回で分かった。黒田の人生の変遷を辿り、光と闇に迫っていく。

練習後、写真撮影に応じてもらい笑顔を送った

「気づいたときから運動することが好きだった」幼稚園の頃は家でゲームをするよりも外で遊んでいる方が楽しかった。「実力で考えれば、水泳を続けるべきだった。けど一番楽しいのはサッカーだった」小学校ではサッカーに打ち込んだ。ポジションはキーパー。「後ろからチームを引っ張っていくことが楽しかった。もちろん、自分がセーブできれば注目を浴びることができる」小学生は自分が活躍することを一番に考えがちだが、チームを俯瞰して引っ張っていた少し大人な小学生時代を歩んだ。

恩師・北岡先生との出会い

父が立教高出身であることや広いグランドでサッカーをプレイしたいという思いもあり、立教新座中に進学する。当時ヤンチャだったこともあり、ある事件を起こしてしまう。事件の重大さを鑑み、退部届を顧問であった北岡先生に提出しに行くと、受理されなかったという。「退部して逃げるな。部に貢献して償え」黒田はとても困惑し、当時についてこう語る。「頭ごなしに怒るのではなく、対話をする形で何がダメなのか、どうしていくべきなのかを納得がいくまで一緒に考えてくれた」もし、ここで逃げていたら今の黒田はなかっただろう。

内部進学で立教新座高に入学を果たす。高校でもサッカーを続けることを考えていたため、体験入部に参加をした。黙々とうまくなるために練習をこなすことに違和感を覚える。当たり前のことであったが「サッカーは好きだけど、それ以上に人との関わり合いが好き」だった黒田はギャップに悩まされる。そんな時、現キャプテンの中村紀(済4)にアメフト部に誘われたことやコミュニケーションや戦略が大切なアメフト部への入部を決意した。しかし、待っていたのは茨の道。脱臼に苦しめられ、合計20回以上だったという。「相手を軽く押すだけでも脱臼してしまうレベル」。やめようかと考えたこともあった。しかし、「脱臼をしても同期とアメフトをやることが好きだった。究極のチームスポーツって言われることもあって、見た目も体重も違ういろんな人と関われることが魅力的だった」。仲間との絆、アメフト愛が自身を突き動かしていた。

大学に入ってもRushersを選んだ。「高校で自分を支えてくれた同期と再び大学でも日本一を目指したかった。この同期となら何でも乗り越えられるのではないかと思った」。高校では日本一の夢は叶わなかったが、大学で再チャレンジを決意した。

慶大戦にてFGで先制点を決めた

1年生のリーグ戦でRushersは快挙を達成する。27年ぶりに慶大を下したのだ。黒田がFGにて先制点を決め、流れを手繰り寄せる。「試合前に先制点の大切さについて監督から話があったばかりだったからチーム全体が盛り上がって嬉しかった」勢いづいたRushersは誰も止めることはできない。さらに、黒田はこの試合について人1倍思い入れがあるという。27年前の勝利した当時のチームに父親がプレイヤーとして出場し、チームをけん引していた。「普段は寡黙な父親もこのときばかりは素直に喜んでいて、褒めてくれた」。

天才・中山の登場。そして挫折

2年生に進級し、中学サッカー部の後輩だった中山(社3)が入部してくる。「高校の時もキック上手いなと感じていた」こともあり、直々にRushersへと引き入れた。

中山は入学して半年でメキメキと頭角を現し、シーズンイン直前の夏の終わりごろには黒田と肩を並べるまでに成長をする。一方黒田は後輩が追い上げてくる焦りもあったのか、右の股関節を肉離れしてしまい戦線離脱を余儀なくされる。高校時代からずっとケガに悩まされ、自分の努力不足ではなくケガのせいでレギュラーを奪われることに悔やみきれない。自分がケガで足踏みをしている間に、中山はどんどん前へ進んでいく。その背中を見ているだけしかできない自分に怒りすら覚えた。

そんな中2年生のシーズンが開幕し、中山のアドバイザーをコーチから任された。試合前のアップ中、中山のキックはまるでダメだったという。初めての試合だったことやいつもと違うフィールドが起因しているのではと分析した黒田は「練習でやってきたことをやるだけ。いつも通りやりな!」と優しくアドバイスをした。試合での中山は変な力が抜け、FGの成功率100%を達成することができた。自分が活躍せずとも自分のアドバイスによって中山のひいてはチームの勝利に貢献できることを知り、指導にも力を入れるようになった。今となれば、中山は大学生で1、2を争うキッカーとなり「本当に天才。本気で目指せばNFL行けるんじゃないかと思ってる。本気で目指せば(笑)」と祝福した。

大きく右足を振り上げ、華麗なキックを決めた

靱帯断裂

アメリカンフットボールにはキックをする選手は大きく分けて、キッカーとパンターの2種類に分けられる。3年生に進級し、パンターとして試合に出ることを目標に日々練習に打ち込んだ。またしても悲劇はシーズンイン1か月前。前十字靭帯を部分的に断裂してしまう。ケガに対しては前向きに捉えることができたものの、手術をいつ行うかについて頭を悩ますこととなる。手術をすると今まで自分を可愛がってくれた4年生の先輩とシーズンをともに過ごすことができなくなってしまう。しかし、手術を行わないと自分の最後のシーズンのための練習を大幅に損なうことなる。決めることができずに練習に参加していたある時「歩いていたら、目の前が青空だった」気づかぬ間に転んでいたのだ。すぐに手術を受けた。現在、6月に復帰することを目標にリハビリに励んでいる。

「最後に試合に出たのが1年生。最後のシーズンは選手としてチームに貢献したい」次のステージへ歩き始めた。これからも多くの困難が待ち受けているだろう。今まで倒れてもすぐに立ち上がり、前を向き続けた。黒田が巻き起こすドラマから目が離せない。

(4月24日・川合晟生)

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