【軟式野球部】軟式一筋12年、白球と共に成長した主務・若杉隆平

かつて「彼がいないとこの部活は成り立たない」と称された男だ。 19年度に主務を務めた若杉(社4)は昨年、グラウンドに別れを告げた。小学校から野球を始めて大学まで軟式一筋。学生生活の全てを軟式野球に捧げてきた。男は最後の学生生活で軟式を楽しみ、成長していった。

ずっと軟式

野球に出会ったのは小学1年生の頃。幼馴染に誘われて始めた。以来、小中高で軟式野球をプレーした。愛知高では主将を務めた。主将になる前年の大会でチームとして全国大会出場に肉迫する好成績を残していたこともあり、当然自分の代で全国に行ってやろうという思いが強かった。しかし結果は初戦敗退。悔しい気持ちでいっぱいだった。そのような悔しさを晴らしたいと感じ、大学でもプレーを続けると決意した。気持ちに迷いはなかった。立大進学後は新歓期間に多くのサークルや部活から勧誘を受けたが目もくれずに軟式野球部に入部した。高校時代は守備が好きで進んで守備練習を行っていた。大学進学後は肩の故障から思うような送球ができずに嫌気を感じるように。その分打撃強化にシフトした。結果として右方向への力強い打撃が持ち味となった。

右方向への力強い打撃が魅力的である

ユニフォームを脱いでも

グラウンド以外でも戦っていた。3年次から、部の運営を担う主務に就任した。仕事内容は道具の手配、その販売店との打ち合わせ、合宿の手配、学生部や体育会本部との連絡など多岐に渡る。「大変だった」。主務の仕事が影響して自身の練習時間が奪われることはなかったが、苦心していた。主務という役職に就いて様々なことを学び、成長することができた。入部当初は人見知りが強く、同期からも一目置かれる存在であったが、今ではオープンな性格になったと語る。その成長は部活以外でも発揮することができた。若杉は3年次より体育会本部の特別委員として体育会全体の運営に携わっている。当然、さまざまな人とのコミュニケーションを要する。しかし、入学当初の人見知りの姿はもう消えていた。臆することなく積極的に意見を交わし、体育会の運営に貢献している。

楽しかった。つまんなかった

「楽しかった。つまんなかった」。若杉は引退時にそう言い残した。指導者がいない軟式野球部だからこそ、自分たちで全てを決めることができた。高校時代に「大学ではこうしたい」と思っていたことを実践できた。良くも悪くも自分たちの考えが結果に表れる環境が心地良かった。「勝てなかったのが悔しい」。楽しい一方悔しさも同じぐらい感じていた。1年秋にはチームとして2位でシーズンを終えて東日本選手権に出場したものの、以降は低迷が続いた。3年春には屈辱の開幕6連敗を喫した。チームとしてリーグ戦で思うような結果を残すことができなかった点が心残りだった。20年度主将・八方(法3)率いる新生軟式野球部に活躍を期待している。

 (8月27日 渡邊大樹)

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