【スケート部フィギュア部門】主将・小山田(理4)が語るフィギュアスケートへの想い

感謝の気持ちが溢れた1年

笑顔を見せる選手たち 左から蓑輪(文4)、島田(営4)、片岡(営4)、原(現4)、小山田(理4)、内田(済4)

―ラストイヤーを振り返って

こんな状況になるとは思ってなかったので、やり切れたかは自信がない部分があります。でも、私にとって1番大きな試合にしていたのは10月にあった東京ブロックの大会だったので、それに向けては悔いの残らない演技をショートプログラムだけでもできたと思うのでそこは良かったかなとは思います。

―ラストイヤーで悔いが残ってしまった部分はありますか?

東京ブロックを1つの目標としていたのに加えて、もう1つインカレも目標としていた部分もあったので、インカレに出場できなかったことも悔いが残った部分です。今シーズンに限っては東インカレすら挑戦する舞台も無くなって(昨年、東インカレは中止となった)、それに挑むこともできなかったってことは悔いが残る、と言っていいのかわからないですけど残念だったなと思う部分でもあります。それに付随して試合数が少なかったこともあって、フリーのプログラムを結果的に1度も試合でできませんでした。それを多くの方に見ていただいたりすることができなかったのが残念でした。

一主将として今年1年どう過ごしましたか?

主将になった当初は、部活をどうしていきたいとかいうのを色々考えていました。けど、こういう状況になってしまって、今練習ができるかどうか、そもそも練習環境を確保するところからやったのが大変だったなとは思います。自分なりにOB・OGさんと部活の人と密に連絡をとって、なるべく部活の人達が練習環境を維持できるように働きかけられたので、その部分では良かったなとは思います。

一主将としてどんな1年を目指していましたか?

そうですね。(中略)個人競技だからこそ、お互いを認めて支え合える仲間、組織を作っていきたいなと思っています。技術がバラバラだったりだからこそ、年長者が年少者を教えるだけでなくて、その技術を持っている人であれば、年下の人でも先輩に教えてもいい、そういう環境を作っていきたいと思っていました。

一今年はイレギュラーな1年となり、その際支えになった存在はありますか

1番は主務かなと思います。元々仲良かったのもあったので、連絡取るのが億劫には別にならずに、よく超時間電話をしながらどうする?みたいな感じで電話をしながら相談できたのは、精神的に安定しました。あとは、監督がとても親身に部活のことを考えてくださり、毎日のように電話させていただいて、部活の状況をどうやりくりしていくかというのを話し合いました。それに関連して、部活をするにあたって学生部の方からOB・OGさんの誰かがいないと部活は運営できないという指示がありました。そういった中で監督さんが積極的に来てくださったり、他のOB・OGさんも普段来られない方もこういう状況の中、多くの方が部活に来ていただきました。それがなかったら私たちももっと長い間部活ができていなかったので、よりOB・OGさんの存在を感謝する1年だったと思います。

“こだわり”を大事にしたスケート人生

ポーズを決める小山田

一お気に入りの写真を選んだ理由は?

私は、ジャンプとかあんまり得意では無くて、踊ることが好きなんです。顔の表情とか手先までプログラムを演技する時に意識しているので、それがとてもこの写真に表れているかなって。結構目力で訴えているというか、そこまで表れている写真なので、自分は気に入っているなと思って送らせていただきました。

―表情やポーズは日頃から研究を?

そうですね。結構そういった身なりや仕草は、プログラムで私自身も気にしたい部分ではあるし、客観的に見ても、他の部員にも結構気になって言っちゃうタイプなので、自分自身も動画とかで確認して、気に食わないなと思ったら、修正かけてみたり普段の練習から意識しています。

―今シーズンのプログラム曲は?

ショートプログラムは、大河ドラマ真田丸のテーマの「真田丸」。フリーは、「オペラ座の怪人」です。

一曲を選んだ理由を教えてください

真田丸に関しては、大1から作っていただいて4年間ずっとお気に入りで使ったプログラムです。大河ドラマを見ていた時に、ああ、もうこれだ!と思ったんです。すごいかっこいいバイオリンの演奏で、親ともうこれ絶対使おう!みたいな話になって。割と私自身、綺麗に動かすことも好きなんですけど、アクセントの効いた動き、ちょっとかっこいいような動きが得意で、そういうフィギュアスケーターの方が女子だと、あんまりいないというか、ちょっと癖のあるタイプの方が印象的で、私の強みかなと思っていたので、このプログラムなら私は踊れるかなと直感もありました。そして、東京に上京して作っていただいて、もうほんとに先生にもご好評いただき、周りのスケートを見る方にも「いいプログラムだね」と褒めていただいたので、気に入って気づいたら4年間使っていたと言う感じですね。
もう1個のオペラ座に関してなんですけど、最後のプログラム、最後の引退曲になるので、引退らしいちょっと感動できる曲にしたくて、そしてちょっと自分らしい癖の強いところも入れながらというところで決めました。もう1つ思い入れを込めるとしたら、私の恩師も引退曲でオペラ座だったんですね。だからもうこれだ!ってその時にピンときました。

―最後のバレンタインカップはどのような姿で終えたいですか?

本当だったら今まで会った友達とかすごい色んな人にお世話になってスケートを続けて来られて、ほんとにみんな呼びたかったです。人数制限という形での開催になってしまったので、そこは残念に思う部分もありますが、ライブ配信とかもあるようなので、ライブ配信の先で見ている人にも思いが伝わるような、16年間のスケートの感謝の気持ちを伝えられる演技をしたいと思ってます。1番お世話になった両親やコーチが「いい演技だったね」って最後に言って貰えたらいいなって思っています。

スケートは「自分の人生の軸」

―小山田さんにとってスケートとは

自分の人生の軸かなって思います。スケートしかしてこかなかったと言っても過言ではないほどスケートが軸となっていました。スケートするために勉強しなくちゃって思っていたタイプだったので、スケートなしでは私は人間性とかも作られて来なかったと思うので、自分の軸でありますし、これからもスケートに携わっていきたいなっていう部分はあります。仕事とか辛くなってもスケートに戻れたら自分が保てるみたいな存在かなと思います。

―小山田さんにとって大学スケート部の存在は?

結構これ話すと長くなっちゃうんですけど(笑)今まで小学校から私スケートやっていて、小中高のスケートはただ自分と戦うだけ、もちろん同級生もあるけどライバルみたいなお互いに認め合えたり、仲が悪いってわけじゃないけどやっぱりそう言う部分があって。私はジャンプが得意ではないこともあって、試合に出ても成績は下位の方だったので、劣等感を感じていたんです。だけど大学に入って違う状況、そもそも初心者で大学からスケートを始めている人がいることにもびっくりしました。大学から始めた人が楽しくスケートをやってる、1年でこんなに上手くなるんだってことに感動して、自分らしいスケートをこの4年間やってもいいんじゃないかなって思いました。私がその中に入った時には自分が認められたり羨ましがられる存在になったので、そこで自分がスケートをそこそこできるかもみたいなモチベーションというか、もっと頑張りたいなみたいなモチベーションの維持にも繋がったっていうのがあります。あとは同期の存在も結構大きくて。教えてって言われて教えることも純粋に楽しめましたし、毎回試合で心からほんとに応援してくれるのがほんとに私の心の支えで、立教大学だからこそそういう経験を味わえたって言うのがほんとに貴重な4年間かなって思いますね。他の大学とかは一緒に部活をするという環境よりも個人個人で大学の名前を持って試合に出るっていう環境が多いので、その分アスリートの方々が入っているんですけど、私自身はそういう環境ではなく、立教でスケートができたってことが楽しかったし、よかったなってすごい思いますね。

―これからのスケートとの関わり方は?

選手としてはもう引退します。立教のOB・OGとして、部活に顔を出して教えたり、機会があればプログラムとかも作りたいなとか思っています。あとはジャッチの資格を取りたいなって思っているので、そういった面でも立教に貢献できたらいいなと思っています。

―後輩に向けてメッセージをお願いします

この状況がいつまで続くのか分からないので、試合が来年再来年ってちゃんと出来るかは分かりません。そういった中で、自分が今できること、こういう状況だからこそできることをやって欲しいなとは思いますね。あとはフィギュアスケートっていう技術だけが求められるものじゃなくって芸術も求められる競技だからこそ自分なりのスケートを最後引退の時演技が出来たら1年間スケートに携われて、スケートが出来て良かったなって思えるのかなって自分は思うので、そういった自分なりのスケートを見つけられる4年間にしてもらえたら嬉しいなと思います。

(1月26日 取材・編集 丹能萌絵)

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