【軟式野球部】誰もが認める守備職人 飯田佳祐

ゴムボール、土の内野と、ボールがイレギュラーしやすい軟式野球において守備の難易度は硬式より高い。そんな中でも飯田佳祐(コ4)は遊撃手として、どんな難しい打球も捌いてみせた。守備だけではなく打撃センスも光る。3年秋には打率3割(リーグ2位)を記録した。

守備の人

どんな打球でも難なく捌いた

入部後、遊撃手のポジションは同期の梅島(コ4)や当時の主力・田鎖(19年卒)らが台頭しており、なかなか出場機会に恵まれなかった。それでも試合に出たいという思いは強く、時にはチームのアクシデントを救った。2年春の対明大戦。正捕手の松田啓(文4)が寝坊。チームは捕手不在という危機に陥る。監督の寺崎(20年卒)の「誰か捕手はできるか」という呼びかけに、飯田が迷わず手を挙げた。捕手は中学時代に経験したことがあるポジションで、「試合に出られるなら」とマスクをかぶった。試合には負けて申し訳ないけど、楽しかった」。勝ちには結びつかなかったものの、盗塁を阻止するなど、ブランクは感じさせなかった。その後、梅島の投手専念などで徐々に出場機会を増やし、3年次から正遊撃手の座をつかんだ。

2年春の対明大戦、「1番・捕手」で出場した

もう1つの顔

軟式野球部の選手として活動する一方、飯田は別の視点からも野球に携わっていた。母校・光陵高で学生コーチを務めていた。体育教諭が夢であり、より学校について知っておきたいという理由から志願した。試合ではベンチに入り、指揮を執ることもあったという。自身の軟式野球の試合に加えて、高校生の試合も見ることで試合観が身についたという。「高校生の皆が頑張っているから自分も頑張ろうと思えた」。新たなモチベーションも生まれた。

ただ、学生コーチの仕事があり、軟式野球部の練習の出席率が低かったことが心残りだという。学生コーチ専念のため、一時は3年春をもって引退する予定だった。「3年間で一番うれしかった」と振り返る、選手全員からの寄せ書きをもらい、送り出されたが予定が変わり3年秋もプレーした。

打撃開眼

 

打って変わって、3年秋のシーズンも引き続きプレーした飯田。自身初となるベストナインを受賞し、リーグ打率2位の3割を記録した。春リーグ終了後、自分のスイングを見つめ直した。斜めから打球を叩くと潰れてしまう軟式級の特性を考慮し、徹底的なレベルスイングを意識して練習に臨んだ。意識改革の甲斐もあって開幕戦から適時打を放つなど、チームに貢献した。「チャンスにはテンション上がるタイプ」と本人が語るように、下位打線での起用が多い中でも随所で適時打を連発した。

打撃改革を行い、左中間に打球を多く運んだ

3年秋の開幕戦、一時勝ち越しとなる適時打を放って塁上でガッツポーズ

 

多様性

高校時代はプレッシャーを感じていた野球も、大学では楽しくプレーできたと振り返る。「人数が多くて楽しくやれた」。3年間を振り返ると仲間に恵まれた3年間だった。 飯田は自身の3年間を「多様性」と言い表した。「普通の部活って長く過ごしていると、その部の色に染まる。でも軟式野球部の人はその辺にいてもわからない。いい意味で染まらないことが魅力。そんな人たちが一つのチームにいることが面白い。いろんな色を持った人がいて、いろんな生き方や性格の人がいることが魅力」。

(3月29日 渡邊大樹)

※掲載が大幅に遅れましたことをお詫び申し上げます。

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