「支えてくださった人に恩返しを」 立大OG澤田優蘭選手が東京パラリンピック日本代表に!~前編~

東京の夏はまだまだ熱い。24日より東京パラリンピックが開幕し、競泳や車いすバスケットボールなどの競技が賑わいを見せている。陸上競技は27日より開催。立大OGの澤田優蘭選手(マッシュホールディングス=2013年度卒)はT12(視覚障害)クラスで29日に行われた女子走幅跳決勝で5位入賞を果たし、明日に行われる女子100㍍予選、3日に行われるユニバーサルリレーの1走として出場する。2017年8月より「陸上を始めるきっかけとなった恩師」の三浦さん、ガイドランナーの塩川さん、跳躍コーチの宮崎さんらと「チームウラン」を結成。「2020東京パラリンピック金メダル」を目標に練習を行ってきた。北京パラリンピック以来、2度目となる東京では、100㍍で決勝進出を目標に掲げる。そんな彼女の競技生活や、東京パラリンピックへの想いに迫った。

※取材はすべてZoomで行いました。取材日:8月8日

楽観的な性格、スピード感のある助走

――陸上を始めた時期は
私が最初に陸上に出会ったのは、中学に入学した時ですね。

――どうして陸上を始めたのか
小さいころから結構運動が好きで、特に走ることがすごく好きだったこと、体育の授業で走幅跳をやったときにすごく楽しかった経験から、もう少し強くなってみたいと思って陸上部に入りました。

――澤田選手のメンタル面の持ち味とは
考え方としては楽観的で前向きなタイプです。きっとうまくいく、必ず成功に行く道はあるという風に思っています。例えば、思うような結果がでない時やけがで試合に出られない時も、その時間にはそれなりに意味がちゃんとあって、今後強くなるために必要な時間だなと前向きに捉えることが出来る部分が、自分のメンタル面での強みではあるかなと思います。

――競技面での強みとは
走幅跳に関しては、100㍍のスピードを生かして跳躍をするところです。100㍍にも力を入れてやってきているので、スピード感のある助走で跳躍をする。スピード感は武器だと思います。

T12クラスの走幅跳では選手が1人で助走を行う。【提供・マッシュホールディングス】

T12クラスの走幅跳では選手が1人で助走を行う。【提供・マッシュホールディングス】

T12(視覚障がい)クラスの100㍍ではガイドランナーが、走幅跳にはコーラーがつく。ガイドランナーは選手と一緒に走り、選手が気持ちよく走ることが出来るようにサポートを行う。コーラーは、選手が真っすぐ走ることができるように、踏切版との距離感を調整できるように声掛けをして、選手をサポートする。2つの役割に共通することは、選手の「目」になり、競技面だけでなくスタートラインに立つまでに必要な情報を選手に提供する。まさに、選手とガイドランナー、コーラーは一心同体である。

――ガイドランナーコーラーとの信頼関係がとても大切。身を任せる怖さは
任せることで何か障害物にぶつかるという怖さは全くなかったです。ただ、二人三脚をしている感じで、30㌢に満たないロープでつながりながら高速で走っているので、最初のうちは違和感がありましたね。人とつながっていることで自分らしい腕振りができない。私も相手に抵抗がないように合わせようとしてしまうなど。それが無意識に小さな動きに出てきてしまっていました。例えば私は右手にロープを持って右側にガイドランナーの人に立ってもらうのですが、右腕の振りだけあまり振らなくなってしまっているとか。

――そこは話し合いや回数を重ねて息があっていくという感じ
そうですね。私は、現在もガイドを務めてくれている塩川さんが初めてのガイドさんとの走りだったのですが、塩川さんは、ガイド経験者だったので、ガイドをするという技術の経験値があって。そういう意味では塩川さんが私の走りに合わせてくれたので、何回か走っていくうちに慣れていきました。

陸上競技部の仲間が支えてくれたからこその、“四年間”

――どうして立教大学に
私はコミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科に所属していました。私が入学したころはまだできて間もない学科でした。スポーツを分析したり、体育の先生を目指したりするような学部は当時もありましたが、福祉学部の中にスポーツ系の学科があるのがすごく印象的でした。私もパラスポーツという形で競技をやっていたのもあり、スポーツは一部のトップクラスの選手たちだけのものではなく、性別や障がい、子どもやお年寄りなどの年齢問わず多種多様な関わり方があると思っていて。いろんなニーズにあったスポーツの提案の仕方があるのかなと考えており、福祉学部の中にあるスポーツウエルネス学科にとても魅力を感じて入学しました。

――陸上競技部での四年間を振り返ると

先輩も後輩もそうですし、特に同期の仲間に助けられながら、部活に臨めました。周りの人の支えや、フォローはすごく力になって、そのおかげで四年間をやりきれたことが一番印象的ですね。

――特に印象的だった出来事などは
私が大学に入学した当時、陸上競技部は専用グラウンドを持っていなかったんです。私が卒業した翌年にグラウンドができたんですよね。それまで陸上競技部は本当に様々な公共の陸上競技場へ練習に行っていました。ただ、どうしても一般の競技場は授業が終わってから向かうと混んでいて。私は当時から「見えにくさ」があったものの、ガイドランナーをつけなければいけないほど見えなかったわけではないのですが、混雑した中で走るのはとてもリスクがあって。でもそんな私を同期や先輩がいつも気にかけてくれて、みんなと一緒にウォーミングアップから練習ができる方法を考えくれて、本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。そもそも障がいのある学生が体育会に入るのは初めてのことだったので、監督やコーチにも色々と相談をして入部が決まりました。みんなが私の見えにくさや、必要なことが何なのかということを理解してくれた上で、協力・フォローしてもらいながら部活をできていたことが今でも印象的なことですね。練習の度にみんなが本当に快くサポートしてくれたことがありがたくて、いつも感謝していました。

(8月31日 取材・編集 田川怜奈、藤部千花)

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「支えてくださった人に恩返しを」 立大OG澤田優蘭選手が東京パラリンピック日本代表に!~後編~
※明日12時公開!

 

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