【サッカー部】「針小のたっくん」から「立教の田中」へ。 2020年度主将・田中拓実が繋ぐもの、これから。

2019シーズン第12節、産能大戦。後期開幕戦に先発で起用された(写真中央)

7月25日、立大の関東2部リーグが始まる。開幕から3試合を延期し第4節からの参加、そして無観客。異例だらけの2020シーズンに主将を務める田中(法4=桐光学園)。彼のルーツを辿りながら田中拓実という一人のサッカー選手が繋いでいくものを探っていく。

大舞台でキックオフゴール、相手から「アリかよ!?」の声。

サッカーを始めたのは幼稚園に入る前。3つ上の兄の影響だった。小学校時代はゴールを狙うFWやMFで、針ヶ谷の少年団から浦和三室SSSに移ってからも前線のポジション。当時からロングボールの精度が高く、キックオフシュートも「関東大会みたいな大舞台で決めて『アリかよ!?』とか言われてた」。

今でも届くけど流石にキャッチされると言うので、無回転とかショートバウンドで狙えば?と冗談半分で提案すると「マジで…ある、いけそう」とニヤリ。

現在ディフェンダーを本職としているのは浦和三室SSS時代、祝賀会の席で監督から「お前は将来ボランチから下の選手になると思う」と言われたことが大きかったという。中学ではボランチ、高校2年次からはセンターバックと徐々に守りのポジションへ移ったが、自分の長所を認められた上でのオーダーに納得。抵抗はなかった。

今に繋がる人との出会い。

チームメイト、監督にはずっと恵まれたと話す。多くの出会いが今の田中を形作った

各カテゴリでチームメイトに刺激を受けた。小学校では点取り屋の田中に対し司令塔だった知久航介(筑波大)。中学時代は帝京FC(現S.T. FOOTBALL CLUB)でボランチを組んだ浅野嵩人(桐蔭横浜大)、同じ関東2部の舞台で戦う塩野清雅(東京国際大)。そして今はバルセロナBでプレーする安部裕葵。3年間を共にした彼らとは今でも連絡を取り合う仲だ。自分が試合に出られていない時でも「アイツ出てんなあ、頑張ろう、とか。チームメイトだったやつと次のステップで対戦相手として戦うのってけっこう嬉しくて。それで頑張れた」。進学した桐光学園高の紅白戦では現在ジュビロ磐田で9番を背負う小川航基とマッチアップ。プロのレベルを肌で感じた。

そして指導者にはずっと恵まれてきたと振り返る。厳しく基礎技術を教えられ、DFとしての適性も見出された小学校時代。変わって、中学時代はかなり走り込みを重視するチームで「キツさみたいなのを教えてもらった」。高校ではコーチから“フットボール”の戦術を詳しく教わり、監督からは技術だけでなくマインドの部分でも刺激を受けた。今では、そのどれもが選手としての田中に繋がっている。

初先発。帰れず1人、ずっと夜のグラウンドに。

初めて先発で出場した第7節・慶大戦。立大のシュート数は慶大の11本に対して1本に留まった

忘れられない試合がある。3年目に迎えた関東リーグ第7節、慶大戦。初めて自分がスタメンに名を連ねた試合だったが、前半で早くも3失点。後半も1点を献上して大差での敗北。試合が終わっても、20時を回った富士見のグラウンドから動けなかった。

「試合終わっても帰れず、1人でずっとグラウンド残ってボーっとしてて。打ちのめされたじゃないけど初めて出て0-4で負けたから。それまでそんな大量失点する試合ってなかったから。それとか色々めっちゃ考えちゃって。悔しくて泣いてたのもそうだし、ずっと『どうしたらいいんだろう』みたいな考え事をしてた」。

次に印象深い試合として挙げたのはその翌週に行われた青学戦。68分に先制されながらも逆転で勝利にこぎ着けた試合だ。「自分がめっちゃ活躍したかと言われるとそうじゃないけど」と前置きながらも「初めて貢献できたなって自分の中で」。前節で一度沈んだ気持ちも試合前には吹っ切れていた。

「俺その日めっちゃ凹んで次の日気持ちは切り替え、みたいなタイプだからさ。負けをいつまでも引きずっていられないのはもちろんだし、それはずっとサッカーしてたらそうじゃん。そこの切り替えは簡単だったかな、声掛けてくれる人もいたし。そんな気負うことないぞみたいな」。平林(営4=八千代)、桂島(法4=八千代)、大塚(営4=前橋育英)のように声を掛け支えてくれるチームメイトの存在、そして真っ直ぐな芯の強さがあった。

「要」になりたい。

キャプテンマークを巻き、最終ラインに立つ井浦。その背に理想の「要」を見る

井浦(19年度卒)や井上(18年度卒)のような、ピッチにおいて背中から圧倒的な存在感を放つチームの「要」。それが今の自分に一番足りないもの、そして一番求められている部分だと話す。「対人との勝負にどれだけ勝てるっていうのが大事だからさ、リーダーシップあったとしても。そういう面であの二人は凄かった」。

「要」になるため、自分に足りないものは競り合いの強さ。自覚してからはチームトレーニング後に居残ってGK陣の瀬尾(社4=三田学園)や林健太(コ4=JFAアカデミー福島)に大きく蹴ってもらったボールを跳ね返す練習、前に立ってもらった人に乗っかる競り合いの練習を繰り返している。

逆に、自身のストロングポイントについて挙げたのは二つ。一つ目のキックの精度については「やっぱキックが好きだから。フィードとかそういう面では負けたくない。チームで一番でありたい」と話す。もう一つは試合中の声掛け。同期で同じポジションの菅原(コ4=横浜FC・Y)ほどロジカルにできないから、と自身を評して言葉を続ける。

「だから、モチベーターっていうのが正しいかな。元気番長みたいな。聖さんがそうであったように声で盛り上げるのも立派な役目だからチームに一人必要だなって思って。そういう選手がいると、あいつバカだなって言われても周りにとってありがたい存在だし。そういう存在でありたい」。

大学での成長。チームのこと、自粛期間に身に着けたもの。

前主将・栗山も田中が慕う一人。大雨の最終節で残留を決めた後、熱い抱擁を交わした

大学3年は田中にとって初めてチームのことを真剣に考える年になった。以前は自分が良ければという頭で、試合に出られない際には何で俺がと思う。そんな選手だった。変われた要因は立教サッカー部の価値を高めたいと願い活動した栗山(2019年度卒)らの存在が大きい。「影響されたのはあるし、そういう存在が身近にいたからこそ自分も勝手にそうなったのはあったかな」。

大学4年。コロナウイルスの影響で外出すらままならない日々にぽっかりと空いた時間を最初は上手く使えなかったが、次第に読書や英語の勉強など興味のあるものを見つけてはそれを行動に移すことが増えていった。チームのことを考える時間も忘れず、オンラインでのチームビルディングや頻繁に幹部ミーティング・カテゴリーミーティングを行うなど「コロナ環境下で出来る限りのことはやった」と前向きだ。

もうすぐ、本当に長かった春を経て、田中拓実のラストシーズンが始まる。

(7月14日・酒井大河)

田中拓実(たなか・たくみ)
1998年7月7日生まれ。179cm、80kg。出身は福岡で埼玉育ち。法学部法学科。桐光学園高時代にインターハイ出場。ニッと自信を覗かせる笑い方、真面目な顔で変なことを言って笑わせてくるやり口は小学生のときから変わらない。趣味は読書、愛犬と遊ぶこと。愛犬のチイちゃんは御年14歳。昔はよくソファの下にいるイメージだったが今は太ったせいでもう入れないらしい。「寝てるときにベロ出るのがマジ可愛い」(田中談)。

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