230号

立教スポーツ第230号

12月5日更新

【馬術部】インカレ障害馬術創部史上初杉本V昨年17位からの大躍進天下統一!総減点0でウマく走り切った高い障害にも臆せずスピード勝負!不調脱出!馬の合った走りを見せた

聖澄と息の合った走りを見せ、日本一に輝いた杉本【撮影・中村このみ】右聖澄にまたがりハードルを飛び越える杉本

杉本瑞生と相棒・聖澄(せいとう)が創部92年の歴史を塗り替えた! 出場者全58人の中で唯一2走行共に総減点0で他の出場者を圧倒。昨年度の17位から急激なジャンプアップだ。日本一の称号は、高校時代の愛馬・サンドイッチコアとの出会いと、指導者である父親の言葉がもたらしたものだった。

ゲンテン0で完全優勝

突然見えた日本一の景色。出番を終えコーチ陣と試合を見守っていた時だった。1回目の走行終了時に同率の高橋(同大)がハードルを落とした。その瞬間杉本の優勝が決定し「実感が湧かなかった」。
学生馬術の頂点を決める今大会。出場者は半年から1年かけて馬と調整を行う。だが昨年12月に出場馬を登録した直後、ペアの聖澄が左脚の腱を負傷した。ハードルを飛び越える障害競技の練習は馬体への負荷が大きく、練習を始められたのは試合1カ月前の10月。さらに杉本自身も体調を崩し、万全な状態ではないまま大会当日を迎えた。
不安をよそに完璧な走行だった。最難関は、幅2㍍程の貯水池を越える水壕(すいごう)障害。水が苦手な馬が多い中、障害を前にすると思い切り走り出す聖澄の持ち味が生きた。勢いそのまま全ての障害をクリアし満点をたたき出した。
練習でもほとんど出したことがない2走行共に減点0の好成績。「素晴らしい跳びをありがとうと伝えたい」。 うれしさが込み上げ、優勝後すぐさま聖澄の元に駆け寄った。大好物のバナナを差し出すと元気よくかぶりついた。共に頂点に上り詰め最高のバディになった。

聖澄にまたがりハードルヲ飛び越える杉本【提供・馬術部】

王者のゲンテン

「高校生の頃の経験がなかったら今の自分はいないし勝てることもなかった」。 中学時代は突出した強みが無かった。大会に出場しても失格続き。そんな杉本を変えたのは、父親が運営する乗馬クラブの馬・サンドイッチコアとの出会い。初めて乗った時はあまりのスピードに「これは馬なのか」と驚いた。だが次第に速さに慣れ感覚をつかんでいった。「スピードでは誰にも負けない」。 新しい武器を体得し、どんな馬でも操れる自信がついた。
指導者である父親も杉本の馬術人生を語る上で欠かせない存在だ。普段は優しいが練習では全くの別人。一度障害を落とすと練習時間が3~4時間延びることもあった。中学生で障害を始めて以来何度も刷り込まれた言葉は、未だに大会前にふと脳裏をよぎる。「矢のように走れ。試合なら失敗してもいい」。 大事な場面で杉本の背中を押し、全日本王者を形作る原点となった。
今大会の成績は単なる通過点にすぎない。夢は競争馬の調教師。生涯を馬と共に過ごすことのできる職業だ。だが日本で各学年一人しかなれない狭き門。突破するには結果を残さなくてはならない。さらなる成長を目指し、今日も手綱を握り直して稽古に励む。   (中村このみ)

団体戦に出場した三人

【剣道部】92年分の感涙!創部初女子団体日本一 勝利への執念と改革の先に光あり!強豪次々打ち破り明大相手に下克上

【剣道部】決勝後、顔を覆い涙を流す松原(文4)【撮影・金子千尋】

悔し涙を超えて

望みは大将の松原に託された。決勝戦は副将まで全員が引き分け。「何時間戦っても自分が勝つ」。 日本一へのチャンスを逃す気はなかった。試合開始4分、相手がつばぜり合いを解こうとした一瞬を捉え引きメン。下馬評を覆す一本に会場中がどよめいた。
悔し涙が続いた松原の大学剣道。個人戦では四年連続、関東予選で敗退した。「暗いトンネルを歩いている感じだった」。 大好きな剣道が嫌いになるほど結果が出なかった。
それでも頂点だけを目指してきた。主将に就任してから口に出し続けた「目標は日本一」。 団体予選は関東一に届かずベスト8で終わるも、全国のことだけを考えた。部全体の弱点を克服するため、つばぜり合いの別れ際を強化。弱みを強みに変え、全国大会決勝という大一番での引きメンにつなげた。
決勝後、創部史上初の大快挙に笑顔を見せる部員たちの輪。その中心には、うれし涙で顔をぬらす松原がいた。ひとしきり泣いた後には、はじける笑顔で喜びをあらわにする。「みんなのおかげで剣道が大好きです」。

【剣道部】カメラに向かって笑顔を見せる女子部員たち

持つべきは戦友

選手に強みを尋ねると、「チームワーク」と口をそろえる。土屋監督(86年度卒)も「よく仕上がっている」と賞賛した今年の剣道部。チーム愛あふれる主将が育て上げた。
部員一人一人に気を配り続けてきた松原。「元気がいいから一緒に盛り上げて欲しい。」 「周りへ配慮ができるからみんなを誘導して欲しい。」 長所を見抜き直接伝え、部員全員に役割と居場所を与えた。誰もが貢献したいと思えるようなチームを目指した。
部のことを誰よりも考える姿は信頼を集める。高校時代からの同期である鈴木樺は、松原の勝利を「自分が勝ったくらいにうれしかった」と喜ぶ。決勝直後から大粒の涙をこぼしていた後輩の小野澤。「最後に勝ったのが松原先輩でよかった」と涙の理由を語った。部を愛する気持ちが、愛される主将を作り上げた。
部員が「主将のおかげ」と話す一方、松原は「みんなのおかげ」と笑う。思い思われるチームが見せた総力戦。個々の実力をもしのぐ団結力が日本一へと導いた。全員で喜びを分かち合うその笑顔には金メダルがよく似合う。(洞内美帆)

【水泳部】世界まであと5秒 応援が支えたタイム更新2冠!!背で快挙の4連覇 パラ水泳鎌田日本新

【水泳部】レースを終えて笑顔で仲間に手を振る鎌田(コ4)【撮影・阿部愛香】

日本記録保持者の鎌田美希が今年もかました! ジャパラの背泳ぎ・平泳ぎ両部門で日本記録を更新。優勝を果たした。スランプからの脱出を目指し練習内容を一新。目指すは来年の東京パラリンピックだ。3年間で背泳ぎのタイムを3秒も縮める努力家はとどまることを知らない。

実りの金

壁にタッチしてすぐ、観客席へ手を振った。応えるように、スティックバルーンの音が響く。「ほっとした」。結果は日本新記録。スランプを乗り越え輝かしい結果を残した。
日本記録に焦点を当てた1年だった。昨年のジャパラは背泳ぎで記録を残せず悔しい結果に。「練習しているのに速くならない」。苦悩の日々が続いた。
3月の記録会後に陸トレを見直した。体幹強化を図り下半身のブレをなくす。練習も背泳ぎ中心に変更。水をかくテンポが上がり、「少しずつ変化を感じた」と手応えをつかんだ。
迎えたジャパラ1日目。これまでは周囲の期待に押しつぶされタイムが出なかった。「今回は今までにないくらい緊張した」。だからこそ、結果のために伸びのある水泳を意識した。
レース中、ターンをして見えた掲示板には、予選を上回る45秒03の文字。後半25㍍も力まないように泳いだ。結果、自己ベストを約4秒更新する1分35秒50で日本記録を打ち立てた。プレッシャーに打ち勝ったことを証明した。
勢いに乗った鎌田は、2日目の平泳ぎ予選でも日本新記録を樹立。練習を減らしていた種目だけに本人も「びっくりしました」と振り返った。

金メダルを掲げ喜ぶ鎌田

心の変化

順風満帆な競技人生ではなかった。もともと水が好きで始めた水泳。中学・高校では自分の結果のみに集中していた。この頃はただ楽しく泳げていた。
大学生になって環境が変わった。上下関係に重きを置き、全体と同じメニューで泳ぐ日々。体力や精神に負荷がかかった。周りに気を使い誰にも相談できず、「やめたいと思うことも多くなった」。そのときに掛けられた親の言葉。「水泳するために来たんだから頑張りなさい」。 当時は言葉の意味を理解できず、とにかく競技を続けた。
2年生になり後輩ができた。自分を先輩として慕い何でも話してくれる存在。「部活にいてもいいって思えた」。自分らしくいられる環境ができ、心に余裕が生まれる。少しずつ部活が楽しくなっていった。
試合でも声援や笑顔が大きな支えであることに気づいた。「自分も頑張らないと」。気持ちに変化が訪れた。モチベーションに比例して、タイムも上がっていった。
母の言葉も「なければ続かなかった」と重みを理解した。最終目標は2020年の東京パラリンピック。出場権を懸けた選考会が3月に控える。背泳ぎにおける世界との差は5秒。金メダリストが最後の笑顔を求めて泳ぐ。 (川隅望未)

【自転車競技部】不屈のレーサー橘田全日本トラック男子エリートポイントレース7位

【自転車競技部】笑顔でレースに向かう橘田(現4)【提供・More CADENCE】

幾度となく紙面を飾ってきた橘田和樹(現4)。今度は日本最高峰のポイントレースで7位入賞に輝いた! 試合展開を瞬時に見極め、強豪相手に好勝負を繰り広げた。ライバルから刺激を受け全力で駆け抜けた大学競技生活。卒業後も国体を目指しまだまだ走り続ける。

【自転車競技部】健闘をたたえ合う橘田(現4)

報われた10年間

レース後、橘田の快挙を告げるアナウンスが会に響きわたる。共に戦い抜いた戦友たちと健闘をたたえ合った。
「競技人生10年間の集大成となる1年を」。自己最高成績を目指し、意気込んだ大学ラストイヤー。トレーニング時に測る走力値は向上し続けていた。だが、照準を合わせ挑んだ8月のインカレオムニアムでは14位と結果が振るわなかった。
もどかしさの残るまま迎えた全日本ポイントレース。力技で逃げ切るのではなく全体の流れをよく見てプロチームの動きをマークする作戦に徹した。
序盤から強豪5人が先頭集団を形成し大量得点を稼ぎに来る。息を潜めていた橘田は後半にかけ一気に加速し、トップ集団をキープ。ラスト3周で着実にポイントを獲得した。冷静にレース展開を見極め7位入賞。「10年間の全てが間違ってなかった」。久しぶりに得た手応えにほっと胸をなで下ろした。

【自転車競技部】 レース直前リラックスする橘田(現4)

持つべきは戦友

橘田の競技生活には、いつも周りに刺激し合える戦友がいた。その一人、今レース14位の渡邊(明大)は地元・埼玉の後輩。中学時代から互いを知り、国体の代表枠を毎年争ってきた。「ライバルには意地でも負けたくない」と熱い闘志を燃やす。誰よりも強い負けん気が上へと突き動かし続けた。
さらに中堅校・立大で一人抜きん出た実力を持つ橘田は、大学を背負い数々のレースを経験。圧倒的な場数を踏み、プレッシャーに打ち勝つ術を学んだ。また試合後にはブログでの振り返りを欠かさない。不調の原因を探り、弱点を克服した。3年次はインカレの大舞台で7位入賞に輝いた。
今年の8月、就職先の栃木で2022年に開催される国体出場への誘いがあった。「やらないと絶対に後悔する」。卒業後は国体を目標にクラブチームに入り走り続ける決意を固めた。
11月に立大としてのラストレースを終えた橘田。今後は栃木を背負い「橘田和樹」の名を自転車界に深く刻んで行く。(大木紫万)

【自転車競技部】 レース中の橘田(現4)

【ボクシング部】あと一歩届かず銀メダルに泣く。国体フライ級自身初2位の増田「ボクサーに誇りを持った」

増田陸(観4)が第74回国民体育大会フライ級で2位に輝いた。「左ストレートは一級品」と監督の折り紙付きの武器で勝利を重ねた。国体の過去の優勝者には、第62・63回で連覇を果たした現WBO世界スーパーフライ級王者である井岡一翔がいる

ファイティングポーズをとり、攻撃の機会をうかがう増田【撮影・川合晟生】

初の決勝

試合時間残り10秒、競技人生7年の思いを込めて左ストレートを放った。起死回生を狙った最後の一撃は空を切る。目前の日本一の夢はかなわなかった。
有終の美を飾るべく国体に臨んだ。各県の代表が集まる最高峰の大会。準決勝ではジャブでけん制を入れ続け相手にペースを握らせなかった。「強くなった実感があったので当然」。去年3位のリベンジを果たした。迎えた決勝戦。対戦相手は世界選手権出場経験のある馬場(東洋大)。初の決勝という大舞台でも「緊張は一切なかった」。
ゴングが響く。先手を取ったのは増田。激しい打ち合いから持ち味のリーチを生かして遠距離から攻める。しかし、馬場はひるまない。
2ラウンド中盤、決め切れない事に焦りを感じる。主導権が奪えない。判定勝ちは無理だと判断し、一発逆転のKOで勝利を狙う。「倒して勝つ」。間合いに飛び込んだ。しかしあと一歩及ばず。試合後は馬場と抱き合い健闘をたたえあった。

勝ちにこだわる

忘れもしない大学2年12月の関学定期戦。計量失格によって試合に出場できなかった。「絶対あってはならないこと。やる気がなかった」。
魂の火は小さくだがともっていた。多くの人と出会い、考えに触れ、競技に対して0から学び直した。「自分がボクサーであることに誇りを持てた」。誰がいつ見ても、カッコよくなければならない。「ボクサーは世間から一目置かれる存在」。誇りをもってプレーすることを誓った。
一時期KO勝ちだけにとらわれていた。「やっぱりボクシングは倒して勝ちたい」。しかし幾度も敗北を味わうたび、派手なプレーよりどん欲に勝利を求めた。結果、堅実に判定勝ちも増やしていった。戦術の幅を広げた増田は今春のリーグ戦で全勝を達成し、優秀選手に選ばれるまで成長した。
それだけに優勝できなかったショックは大きい。銀のメダルは誰にも見せずにそっとしまった。      (川合晟生)

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