【軟式野球部】頼れる二刀流・梅島厳の3年間

二刀流

物心つく前からグラブをはめていた。5歳の頃、兄がやっていた野球を観に行くと「人数が足りないから出てくれ」とチーム関係者に言われた。それ以来16年間ずっと野球をプレーしてきた。高校は甲子園出場経験もある進学。3年春には激選区・神奈川で準決勝に輝いた。その後立大に進学すると、1年秋から出場機会を得た。振り返ってみると今の3年生で一番出場機会があったのは梅島(コ3=日本大学)だった。「ずっと野手をやっていたので投手の新鮮さが楽しかった」。入部を機に投手に挑戦。2年次には当時のエース平林(営4)に次ぐ2番手としてチームを支え、3年次にはエースの座に就いた。投手以外でも遊撃手・三塁手として上位打線の中軸を担う役割を果たした。

ヒーロー独り占め

3年間で最も印象に残る試合に昨秋の東大戦を挙げた。同点で迎えた延長11回、ピンチの場面から登板した梅島は東大打線を抑えると、続く回の先頭打者として打席に立った。3球目を振り抜き、打球はスタンドへ。ピンチを抑えて3分も経たないうちに自らの手で勝負を決めた。「疲労で力が抜けていたので打てた」。小学生以来の柵越え本塁打で勝負を制した。この勝利は立大にとって秋季唯一のサヨナラ勝ちだった。

昨秋の東大戦。サヨナラ本塁打を放ちナインに迎えられる梅島

今までで一番

「今までの野球人生の中で一番野球を楽しくできた」。梅島は3年間を振り返る。「大人の監督やコーチがいなかったところが楽しくさせた」。立大を始め、大学軟式野球部の大半は学生が主体となって運営している。監督やコーチも学生が務める。中高厳しい環境でプレーしていた梅島にとっては新鮮な環境だった。強制されていたと感じる中高時代よりも大学では楽しさに重きを置いてプレーすることができた。梅島は軟式野球部での3年間を「振り返った時それしかない、青春」と称した。野球を愛し、野球に愛された男は学生生活最後の野球を楽しんで終えた。

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◆梅島厳(うめしま・げん)
1999年1月25日生まれ、コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科3年。右投右打、投手兼遊撃手。日本大学高時代には激選区・神奈川で春大会準優勝を経験する。立大進学後は投手と内野手の二刀流で活躍。3年秋には自身初となるサヨナラ本塁打を放った。3年間で一番辛かったことは「朝が早いこと」。
(3月31日 渡邊大樹)

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