【ボート部】誰よりも部を想う主将・滝島俊一。誰よりも日本一を目指した4年間の志

「立教ボート部が日本一に近づいている感触を最後に得られました」。

大学生活最後の大会に満足感をにじませる。悔いがなかったわけではない。4年間、目指し続けてきた舵手なしフォアでの日本一。自身の手で金メダルを獲得することは最後までかなわなかった。それでも、「チームが強くなったことをうれしく思う」。自分の悔いより部の成長に対する喜びが先に立つ。それが、ボート部第71代主将・滝島俊一(文4)だ。

インカレ終了後、同期の永澤(コ4)を抱きしめる滝島

4年間変わらぬ夢

2016年11月13日、滝島は川岸で一つの大志を抱く。その日は第94回全日本選手権大会の最終日。立大ボート部は舵手なしフォア、通称・なしフォアで優勝。創部史上初の日本一の偉業を達成した。当時1年生だった滝島は川岸から優勝の瞬間を見ていた。大学からボートに触れ競技歴4年で日本一をつかみ取った4人。未経験ながらボート部に飛び込んだ滝島が憧れを抱くには十分すぎる快挙だった。「この艇で先輩たちみたいに勝ちたい」。その一心が彼の推進力になった。

コーチから「なしフォアに乗ってみないか」と声を掛けられたときの喜びは今でも忘れられないという。2年次からなしフォアに乗っていた同期の吉田(営4)を羨ましく思う日もあった。3年次でようやく乗ることができ、クルーリーダーにも抜擢。指揮を任された不安とトップクルーに乗るプレッシャーは、練習を重ねることで跳ね除けた。「クルーリーダーとしても一人の漕手としても自信をつけさてもらいました」。滝島にとってのなしフォアは、夢を与え成長させてくれた艇だ。

インカレにてラストスパートをかける舵手なしフォアの4人。惜しくも6位入賞で終わった

背中を押す主将へ

主将としての憧れも1年次から変わらなかった。当時の主将は中田(16年度卒)。日本一に輝いたメンバーの一人だ。「ザ・カリスマ性みたいな。すごく引っ張ってくれる方だった。俺はあんな風にはなれないなってずっと思っていました」。それまでの人生で一番上に立った経験はなく、どちらかというと性に合うのは”副”。引っ張っていくリーダー性もなければ、自分はエースでもない。不安を感じる滝島を救ったのは前副将の安蒜(18年度卒)だった。

「自分が引っ張らなきゃとかしっかりしなきゃっていうより、自分がやりたいようにしてそれをみんなに伝えればいいんじゃない」
その言葉が彼を前へ向かせた。やりたいことは、全員が納得して物事を進めていける集団にすること。そして、全員で勝つということだった。その思いから掲げた2019年度のスローガンは『志』。全員で志を一つに高みを目指すという意味を込めた。

部を一つにするために心がけたことは、部員との積極的なコミュニケーション。新入生が初レースを迎える日は、出艇前に彼らの部屋まで赴き激励の言葉を送った。「入寮して1ヶ月も経たない自分にも声を掛けてくださり、素晴らしい主将だと思った」と野間(済1)。若濱(済3)も選考会前は悩みを聞いてもらったという。次期副将として「滝島主将のように部員の話を聞いて悩みを緩和してあげたい」と羨望の眼差しを向ける。滝島は中田のように先頭を走り、背中を見せる主将ではない。後ろから部員全員の背中を押す主将だった。

主務の山本(観4=写真右)は「タッキー(滝島)は皆がついていきたいと思える主将」と称する

志を貫いたボート人生

彼の後押しは実力の底上げに繋がっている。全日本選手権では女子エイトが優勝、インカレでは立大から4クルーが決勝レースに出場し、女子ダブルスカルが創部史上初のインカレ優勝。目標の全日本選手権、インカレでの全クルー入賞には届かなかったものの、一歩ずつ日本一のボート部へと近づいている。滝島とってそれが何よりの喜びだった。

個人として、部として大志を抱き続けた4年間。彼以上に『志』という言葉が似合う人はいないだろう。

(3月21日・洞内美帆)

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