【バレーボール部】羽田が競技人生に懸けた思い。“らしさ”が生んだチーム改革とは

仲間たちと自慢の筋肉を披露する羽田(=写真左)【撮影・川隅望未】

「すっきりとした気持ち、やり残したことはない」瞳に涙を浮かべて語ったのはバレーボール部主将羽田(営4)。 何かに一生懸命になった人の流した涙はこんなにも美しいと思った瞬間だった。

努力の裏には

今までのインタビューではずっと後輩のためにチームを強くしたいと述べてきた。だが、ある日のインタビューで小さくこぼしたことがある。「あれ、取り繕ってて、本当は父親のためなんです」。 羽田がここまで頑張れる理由は家族にある。長野からわざわざ試合を見にきてくれる父。彼のために頑張りたい。いい結果を残したい。その思いが常にあった。 小学生の頃に父親に連れて行かれた六大学バレー。親の母校でもある立教大学に魅了された。自分も大きくなったら立教に入学して、父のようにチームを2部に上げたい。その心を胸に念願の立大バレー部へ入部したのは4年前のことだった。 思いは結果に結びついた。努力が実り2年生の時に見事チームは2部へ昇格。大学時代を彩るいちばんの思い出へと輝いた。

羽田の4年間

「大学で何をしたかと聞かれたらバレーとしか答えられない」と笑って答えた羽田。大学の部活では、はじめての連続だった。生徒が主体となって考えるバレー。高校生の頃は理解できなかった人間力の大切さなどたくさんのことを学び取ってきた。 しかしモチベーションは常にゼロかマイナス。楽しいばかりの競技人生ではなかった。主将になってからはさらに重圧が羽田を苦しめた。そんな時にかけられたOBの言葉「桃ちゃんは桃ちゃんらしくやったらいい」その言葉が羽田を変えた。大学に入ってから出会えた同期の存在も同様だった。 「自分の信頼してるOBさんとかには桃ちゃんらしくやったらいいよみたいな。結構それすごく心に刺さっちゃって。同期は変わった奴らだけど、あんまり小中高とかで今の同期みたいなやつはいなくて。良い部分もあれば悪い部分もありますけど結構自分にとって彼らはプラスだったのでいろんな相談をしました。本当にみんなありがとうって1人1人に言いたいです」

チーム改革

支えてくれた同期や後輩たち。だからこそ、後輩が主体的に活動しやすい部にしたい。その気持ちが学年の垣根を超えて意見を言えるチームへと改革を促していった。自分らしさを出したからこそ完成していったチーム。今は「バレーボールがとっても楽しいんです。だから試合に出たいし、使ってもらえるような行動だったりプレーを今心がけていて、去年の全日本インカレの結果を超えたいなって思ってます」。自分が作りあげたチームを語り、羽田は幸せそうに笑った。

得点を決め盛り上がる選手たち

繋がる思い

「桃太朗は影響を受けたと言うか仲良くしてくれたというか、本当に桃太郎いなかったら大学4年間どうなってたか分からないんで」(木俣=コ4)。「桃太朗は1年生の時からチームを引っ張ってくれて、コート内を盛り上げたりとかそういうタイプではないですけど、プレーで見せながら大事なところで声掛けもしてくれて。立教バレー部の自分が見てきた4年間ってのは、桃太朗がずっと中心でチームを引っ張ってくれたんで、やっぱりそういう所を最後まで感じさせてくれたかなと思いますね」(阪本=コ4)。「とにかく感謝の気持ちは伝えたいです。今の同期がいなければやって来れなかったので、お互いに意識しあって、嫌いあったりすることもあったけど、いろいろ切磋琢磨してやれてこれたのはよかったです」(奥野=文4)

本人が”主将らしくない”そう感じる以上にしっかり務めを果たし、部員との絆を築いていた。常にチームのことを考え続けた男が主将らしい人間へ成長を遂げた証拠だ。立教大学のバレー部を目指し続けて努力を重ねた競技人生。誰よりも悩み、誰よりも努力をしたスポーツ選手が流した涙だからこそ、何よりも美しく輝くのだ。 (12月11日 川隅望未)

2部残留を決め嬉しそうな部員たち【撮影・川隅望未】

 

◆立教大学バレーボール部

1935年に創立。現在は関東学連2部に所属。2部上位進出、1部昇格を目標に練習に励んでいる。2019 年度の主将は羽田桃太朗。その他4年生の部員は阪本直弥、木俣光、奥野優太、木波実裕、相良帆南。

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