【ボート部】インカレ直前インタビュー⑤ 主務・山本、マネチーフ・藤浪

カメラに向かってポーズを決める山本(観4=写真上)と藤浪(観4)

―インカレを控えて今の心境
藤浪)あまりまだ実感はないです。終わるというよりは、大会に向けてもそれ以外にもまだ自分にできることがあるなっていう気持ちです。ただ、みんなの笑顔を見て終わりたいなっていう気持ちはあります。(―寂しさは)今はあまりまだ感じてないけれど、食事当番とかいろんなことに“最後”がついてくるとさみしいなって気持ちはります。でもまだやるぞっていう気持ちの方が大きいです。
山本)1年の最後であるインカレまでしっかりやらなきゃ、後12日で完成させなきゃっていう締め切りみたいな感覚が一番あります。やっぱりいい結果残して欲しいっていう気持ちもあって、でも今までの大会とは違って不安よりも期待の方が大きいというか。最後だからみんな出し切っているので。正直去年と比べても勝負できる船は多いと思う。自信もある。部活の仕事とかは早く終わって欲しいけど、寮は出たくない(笑)。というのが今の率直な気持ちです。

―マネチーフと主務から見た今の選手の雰囲気は
藤浪)選手と幹部ミーティングをするとかマネチーフになったからこその違う見え方があるかもしれないけれど、特に主将の滝島(文4)がみんなでっていうことをすごく意識してこの1年間やってきたと思うから、みんながみんなのことを考えている雰囲気が今一番強く感じる。選手同士もそうだし、選手がマネージャーのことを考えてくれているのもそうだし、自分だけがよければいいっていう感じがみんなしなくて、みんなで勝ちたいっていう気持ちが強いように感じます。(―今年のスローガンの同じ志を持つということが達成されている)はい。みんなで勝ちたいって気持ちが私もすごくあるし、みんなもそう思ってくれていると思います。
山本)今、(藤浪)花ちゃんが言ってくれたことと同様になるんだけど、タッキー(滝島)は先頭で引っ張っていく主将ではない。どちらかというとみんなのお尻を叩いて、後ろからみんなの背中を押してくれるような主将。それでその先頭を突っ走るのが例えば吉田(営4)みたいなエース級としているような選手。その中でみんなで上に向かっているような雰囲気はタッキーが主将だからこそだし、吉田が副将だからこそだし、そのタッキーを主体としているチームだからこそこういう志っていうスローガンがあるんだろうなって実感しています。大会に向けてみんなで頑張ろうっていう気持ちが強いと思いますね。

――他大にはない立大マネージャーの特徴は
藤浪)立大だけかどうかはわからないけれど、選手に直接関わるわけではないところのサポートをみんな全力でやっているっていうところはあるかな。見えないところでみんな必死に選手のために、勝ちのためにいろいろなことをやっているのは私から見てもみんなすごいなって思うところ。練習のサポートとか食当だけじゃなくてそういうところにも必死でやっているっていうのは、大学ボート部マネージャーの特徴だなと思います。
山本)主務になってから見ると、マネージャーというよりはこの部活の運営者みたいなところが多いと思った。マネージャーって聞くと練習をサポートしたりテーピングしてあげたりご飯を作ってあげたりとかそういうイメージがあったんだけど、そういう今までのイメージと比べると運営をしているって方が強い。チームと支え合っている感が強いかな。

―マネチーフとして意識していること
藤浪)私が3年の時に一個上のマネチーフの先輩に言われたことで印象に残っているのは、一番上になった時には自分が下の学年だった時には見えていたことが見えなくなってしまうということ。私も多分そうなっていて、もちろん一番上の代になったから見えることもあるけれど、今まで思っていたことが見えなくなると思っている。だからその下の代の意見を、私に見えない意見を聞くこと、言いやすい雰囲気を作ることは絶対心がけたいなと思っています。そのために、チームをどう思うかとか正直な意見を引き出せるようにみんなで話し合う機会作ったり雑談の中で言いやすいようにしたりとかそういうのは意識してきたつもりではあります。自分が上に立つ上でもっとみんなの意見を引き出せるようにしたいなって思っていました。

―引退後、マネージャーとして後輩に期待すること
藤浪)今もいい後輩たちだなと思うけれど、私から見ると一人一人が真面目だからこそ一人でわーってなっちゃうところがある。一人一人の仕事が違うからっていうのもあるんですが。具体的にどうしたらいいっていうのはわからないし、すでにやっているとは思うけれど、みんなでもっと弱音も吐いて助け合い続けられるマネージャーでいてほしいなって思います。

―主務としての1年間を振り返って
山本)一気に立場が変わっちゃったからちょっと戸惑った部分もある。1番は最初に思ったのは、今は副務2人で副務の仕事やってもらって最終的な責任を僕が負うみたいな体制を取っているけれど、前の主務って一人でなんでもやっていて本当にすごく仕事していたんだなってその人のことを尊敬し直した。だから最初はすごく大変だなって思ったし弱音も吐いたりしたけれど、今になってみるとやっと仕事にも慣れてきて副務もいて支えがある。タッキーとかも大変でしょ?って言ってくれるけれど実際肉体的に辛いのはタッキーだし。そういう支え合いがすごくできているなって。この立場になって客観的に見るようになって選手すげえなって思ったし、マネージャーすげえなって思ったし、そういうことがわかった一年だったかなって思います。

―選手側から運営側に回ったことでやりにくさとかはなかった?
山本)もともと入部した理由が人だったからよかったなと思っていて。入部したときにボートしたいと思って入ったかと言われればそうじゃなくて、こういう人たちみたいに将来なりたいなって思えるような人たちだったからこの部活に入った。正直ボートをするのは二の次というか、この人たちとだったらこの競技で日本一目指せるんじゃないかって思った。だからこそ、自分はもともと体を動かすのが好きだったから選手として入ったけれど、選手ってものがダメになったとしてもここにいたいなと思えるチームだったかなと。入りが人だったから。自分もそういう人になりたいなっていう感情でずっといれたから、そこに特に大きな障害は感じなかったし、なんならどちらかというと率先して自分ができることなんだろうなって考えたらそういうことしかないかなって思っていて。そういうところで貢献できたらなっていうプラスの気持ちが大きいかな。

――選手の道が絶たれた時に部活を辞めるっていう選択肢もあったと思うが、そこは人の繋がりがあったから残った
山本)辞めようとは思わなかったかな。一瞬思ったことはあると思うけれどまあそれはただの一瞬であって。腐ったときはあるんだよね。2月くらいかな、腰椎分離やって、3月くらいの検査で先天性ニ分脊椎症を見つけて、その時は本当に一瞬何したら良いんだろうって感じだった。そこで数日へこんだ日があったかもしれないけど、その後は元々新歓担当っていう役職を貰っていたから、新歓に向けてやらなきゃ、俺怪我人だから新歓で入ってきてくれた子を育てなきゃって思って育てて。結局俺の前の代が引退するまで1年生をサポートしてみて、そしたらこういう立場もありだなってちょっと思えた部分があった。今から1年間リハビリして最後の数日ボート漕ぐより、潔くこの1年はサポートに捧げますってことを田上さんに伝えられた。まぁ怪我のタイミングが良かったってことはあるかな。もう辞めたいって思ったことは正直ない。

ー怪我をした当時の自分に今の主務として働く姿は想像できたか
山本)出来たかもしれない。何でもいいからこの部活のためになりたいって思っていた。怪我した瞬間はうわーって思っていたけれど、結構そんなにへこむタイプではないし。それが自分の強みかなって思っていて、色々経験した上でのこういう視点だと思っているのであんまり抵抗とかなかった。怪我しても俺はこの部活にいるんだろうなって思っていたから。何かしらの仕事はあると思っていたから。

ー4年間を振り返って、どんな4年間だったか
藤浪)一言では言えないけど、青春だったなって思います。私は今年日立明と全日本でどっちもボロ泣きしたんですけど、今まで人生の中で嬉し泣きしたことが思い返してみるとそれくらいしか無い。自然に涙が出てきたけれど、それだけ悲しいことじゃなくて嬉しいことで泣けるなんて自分の中であれがほとんど初めてと言っても過言ではなくて、そういう経験が出来たのは青春だったなって。だったというか青春だなって思います。(―学生が終わってからではもう出来ない経験?)絶対出来ないと思うし、最初は部活入る気なかったけど入って良かったなって思います。

山本)青春って聞いたらそれしか思いつかないけど(笑)、一言では言えないけれど、ガキというかクズから成長したかなって思います。中学生くらいの時から一人暮らししろって言われて俺は絶対洗濯とかできないみたいなクソみたいな息子だったけれど、寮に入って親のありがたみを知れたし、あとはチームをいろんな視点から見れたことで人間的に成長できたかなって。選手もコックスもしたし、マネージャーじゃ無いけどサポート側もしたし。あと、立教新座のコーチも本部もやらせてもらって。そういうことをやることによって色んなとことの繋がりが出来た。体育会本部だったら横、新座の高校だったら下、OBだったら上との繋がりが出来た。そういうことをさせてもらったからこそ、色んな視点を吸収して自分のものに出来たかなって。自己成長の四年間だったなって思います。

ーこんなに色んな視点から、経験が出来る人って今までに居るのか。
山本)多分居ないよね(笑)。なんなら選手も大体の人は4年卒業するまでスイープだったら片方のサイドだけど、俺は1年の時にストロークサイド、2年の途中からバウサイド。1年の最初にスカルやって、2年の冬にもスカルやらせてもらって。3年の夏に減量してコックスやらせてもらって。3年の秋から立教新座の方に行かせてもらって。本当にありがたいな、こんなことをさせてもらって。多分居ないね。

ー四年間で学んだことを挙げるとするとどういうことがあるか。
藤浪)シンプルだけど当たり前だけど、自分で体感として感じたのは人に頼ってこそ、頼らないと自分はやっていけないなってことに気づけたかなって思いました。もともとあまり人にお願いしたり頼ったりするのが得意じゃなかったけど、自然にみんなが助けてくれたというか。自分がなにも言ってなくても様子を見てすごく小さいことでも私は元気をもらって。おにぎり握ってくれたとか、そういう本当に小さいことでもすごく嬉しくて。特に1番上の代になってからは、自分一人で出来るって思う方が馬鹿だなって思ったし、みんなにたくさん助けてもらって人に頼ってより良い人になれたかなという感じです。
山本)4年間で学んだことたくさんあるね。でも、それぞれのことを支えるのはもちろんなんだけど、これ実はフレキャンの時にも言ったんだけど、支える人は支えるし選手は選手として自分の道を行くし、だけど結局自分の成長というよりチームとして同じ方向を向いていれば良いんだなって思った。その視点ってマネージャーもだし、俺もそうだし、その立場になってみないと何にも分からないんですよ。こっちはこいつらのために尽くしているつもりでも、実は選手たちってそのことになにも気づいてないし、自分が選手の時もマネージャーのありがたみなんてクソほど理解できていなかったし。ご飯作ってくれて、サポートしてくれて、目に見えるところしかしらなかったけど、実はそういう大きな支えがあって。でもマネージャー側はそれを理解してもらおうとしちゃいけないというか、私たちこんな大変なんだよと思わせちゃいけない。それは選手が勝ちに向かっていくために不必要なことだから。でもそういう組織って素晴らしいなって思っていて、全員が同じベクトル向いてれば良いチームだなって思います。

ー今年、4年生になってから山本さんへのインタビューで、去年のスローガンの「革進」というよりも今年の方が革進していることが多いと言っていた。それは今年の4年生の連帯感が要因になっていると思ったが
藤浪)シンプルに色々変えたことが多かったのかなって思います。ちゃんうい(山本)もそうだし保守的な人が居なかったかなと思います。やりたいことは上手くいかないかもしれないけどやってみようみたいな。色々やったなとは思う。
山本)めちゃめちゃやったよな。
藤浪)だから金も使ったな(笑)。
山本)前の主務がすっごいお金貯めていてくれたから気兼ねなく使った(笑)。練習が火曜の朝なかったじゃん。火曜の朝増やしたり、交換留学させたり。細かいことが多いね。小さいことでも変えたらなにか変わるんじゃないかっていう。
藤浪)そう考えたら革進してたのかな(笑)。
山本)あの代よりってあの代を超えたわけじゃないけど、あの代の意志を受け継いでるなとは思う。強い心、覚悟、革進、志、全部大切だよね。

ー変化が多い1年で何か変えたことによっての後悔とかはなかった?
山本)後悔は全くないね。やってやったぜって感じ。
藤浪)1番上だから出来たって感じだよね。下の学年の時は出来ないからやったなーって感じはある。
山本)新歓の時にみんな青ジャージ着てたじゃん。それも俺ら3年の時なんだけど、4年生に直談判してやっぱりチームとして統一の正装があってもいいと思うんですって主将に言って俺と角谷で作らせてもらった。今年はポロシャツ作ろうって言ってポロシャツ作った。

ー山本さんの最後のブログについて。最後の大会で、最後に奇跡もう一つ起こせそうな感じはしているか
山本)うん。奇跡というか何だろうね、今回の大会に出る結果が積み重ねてきたものなのかなと。奇跡じゃなくて軌跡。今回の結果がそれなんだろうね。だからすごく期待している。

ー最後に。最後の大会で2人が求めるものは。結果だったり色々あると思うが何を一番求めているか
藤浪)さっきも言ったんですけど、私はみんなの笑顔を見て引退したいというのがすごく強くて。みんなが結果を求めている以上、結果もこだわりたいとは思う。けど、今後もずっとOGとしてボート部の一員であることに変わりはないから、長い目で見たら笑顔で終われたらいいなーって。もちろん私たちの代だけじゃなくて、後輩たちの笑顔も見たいし、全力を出し切ってほしいなって思います。
山本)一番は4年だけで言うと全員で笑って終わろうということ。結果という話があったけど、同期の中でもインカレのクルーになれなかった選手、オックスフォード盾レガッタっていうインカレ中にやる他の大会に出る選手がいる。そういう人でも笑って終われるということは、それぞれの目標を果たすこと。目指している方向は同じだけどそれぞれの目標があるじゃん。入賞を目標にするところ、優勝を目標にするところ、滝島とかの目標もあるし。それぞれの思うような結果を出して、最後悔いなく、悔いなくというか、悔いないっていう表現が俺は好きじゃないんだけど、みんなが笑って清々しい気持ちで終わればいいかなって思います。

(取材・合田拓斗/編集・洞内美帆)

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