【ホッケー部男子】〈引退特集〉「マネージャーは一つのポジション」。マネージャーチーフ・相川宝が2018年のチーム、そして4年間を語った

ホッケー部男子を語る上で欠かせない存在、それはマネージャーだ。練習や試合ではタイム管理、給水、ビデオ撮影などチームを支える存在だ。しかし、マネージャーチーフを務めあげた相川(文4)は、「支えてた?支えてたのかなぁ。支えてない気がする」と一言。彼女の根底には、「マネージャーは一つのポジション」という考えがあった。
今回は、相川宝が4年間を通じて感じたこと、そしてマネージャーとしての信念、後輩マネージャーへの思いに迫る。

相川から見た2018年

日頃、選手の思いはインタビューで耳にする。では、マネージャーはどんな4年間を過ごしてきたのだろう。私は、相川にインタビューを申し込んだ。当の本人は、「え?!私?!語りだしたら止まらないよ」と笑い交じりに答えてくださった。

相川から見た2018年のチームを聞いてみると、「なんだろ、プレーヤーは本当に大変だったと思う」。プレーヤーの4年生は、たったの3人。彼らが幹部として、チームを作らなければいけない立場だった。「3人の持ち味が最大限発揮されたチーム作りがなされていた気がしました」。では、個々の持ち味はどういったところか。相川の視点から見た同期プレーヤーについて聞いてみた。

まず、主将を務めた中田(文4)は、「経験者でチームの中でも一番うまいから、プレーでは引っ張る感じ」。熊田(済4)は、「ヘラヘラしてるように見えるけど、意外と練習の合間とかに後輩に一人一人とかに声かけて、結構みんなのことみてる」。野路(社4)は、「なんかもう、本当にあの雰囲気と優しさが全てを物語っているというか、チームの雰囲気が悪い時でもがくくん(野路)を見るとホッとするというか、結構みんなの心を支え」。結果として、3人が持つ一人ひとりの持ち味が発揮できたチームになっていた。

マネージャーは、チームを客観的に見える唯一のポジション」

そんなチームをそばでサポートし続けた相川に「そのチームをどう支えていたのですか?」と聞いてみた。「支えてた?支えてたのかなぁ。支えてない気がする」。帰ってきた言葉は、予想を反するものだった。相川の思いは、続いた。

試合前、選手と話をする相川

「やらなきゃいけないからやるんじゃなくて、私はやりたいからやってたの。マネージャーは〝チームを客観的に見える唯一のポジション〟だと私は思ってて。
選手とマネージャーって分けられがちだけど、私はそれをひっくるめて一チームとしてみて。その中に選手の中でフォワードやってる人がいます、ディフェンスやっている人がいます、マネージャーっていう一つのポジションがあって。私はそれを選んで〝そこをやっています〟っていう気持ちで四年間やっていたから」。

だからこそ、相川は4年間で一度も辞めたいや辛いと感じたことはなかった。毎日が純粋に楽しかった。
「義務感よりは、自分がやりたいからやってる、っていう意識。無意識のうちやっていたから、辛いって思うことがなかったんだと思う。私がいなくても実際、みんな(=プレーヤー)が頑張ったから優勝したし、私がいなかったら優勝できてなかったかっていったら、全然優勝できてたと思うのね。でもその中で、優勝の要因の0.0001%くらいになっていたら悔いはないかなと思う。難しいなぁ」。彼女の言葉に、鳥肌が立った。彼女は、どこまでもチームに真っすぐだった。

後輩マネージャーに伝えたいこと

部を去る相川に、後輩への思いを尋ねてみた。
「マネージャーはね、私がいなくなると2人になるの」。相川は、来年以降のマネージャーを誰よりも気にかけていた。「そうすると、試合の時ってベンチ2人、ビデオ1人、スコア1人って最低でも4人必要なの。マネージャー2人は来年必ずベンチに入るから、そうするとビデオとスコアを必然的に1年生プレーヤーがやることになるの。2人になったら、オフもいままで以上に取れなくなる」。

それを見越して、相川は、2018年後期の部活には後輩にオフを与え、自分が多く富士見総合グラウンドに向かった。相川の決断には、賛否両論あった。「その年でやっているんだから、ちゃんと平等にやらせたほうがいいっていう意見もあったし、それいいんじゃない?っていう意見もあったし。でも私は、モチベーションはむずいけど、モチベーションがなくても辞めなきゃいいなと思ってて」。
その強い決心には、チーフマネージャーとして過ごしたからこそ、見えたことがあった。

優勝決定戦。SO戦のゆくえを緊張したまなざしでみつめる相川(右から2人目)

チーフマネージャーとしての葛藤

相川は、2018年をマネージャーの最高責任者であるチーフマネージャーとして活動してきた。しかし、今までにない視点と決断が求められる日々だった。「今まではマネージャーの枠組みの中でやればよかったけど、チーフマネージャーになると、部活全体のことを第一に考えなきゃいけなくなるの。葛藤が1年間めちゃくちゃあって、それが辛かったことかな」。

 「マネージャーのことを思ったらこうした方がいいんだけど、でも部活全体のことを思ったらそうしない方がいいのかなと思うことがいっぱいあったから。その点に関しては、私はいつも部活のことを考えてたから、マネージャーの3人は嫌な思いはさせたなって思うから、そこの点に関しては後悔が残る。
でも来年は、2人になって先輩がいないじゃん?3年生がチーフマネージャーをやるっていう異例の事態だから、チーフマネージャーもくそもないと思うんだよね、だって2人しかいないから。いい意味で、うちみたいになってほしくも、なってほしくなさもある。
なんか、全部自分のことを犠牲にして、全部部活優先してきたから四年間。そう言った点に関しては、なんか3年生なのに部活全体のこと見るの難しいと思うの。4年生だから一番上に立ったから、全体を考えて見えるっていうのがあると思うんだけど、3年生だと先輩に色々言えないじゃん?〝こうです!〟って。
私はプレーヤーとかにここ、おかしいよ!って正直に言ったし、それは困るってみんなと違う意見をめちゃくちゃ言ってた。物事をはっきりいうタイプっていうのもあるけど、思ったことは伝えないとって思ってたから伝えてきたけど、来年3年生のマネージャーが4年生のプレーヤーに対してそれを簡単に言える環境かっていったらそれは違うと思うから。なんかなんだろうな、思ったことは素直に言って、いう勇気を持ってほしいなと思う。4年生にもね」。
チーフマネージャーという重圧をこれから背負う、新3年生の本多(観2)に相川はエールを送った。

プレーヤーに伝えたいこと

「選手とマネージャーって壁があるように感じるけど、壁は実際ある。けど私はそれを、一番上になってバンバン言って、自分から壊してきたつもりなのね。夏くらいから後輩たちが話しかけてくれるようになったのは、私は個人的にはすごく嬉しかったの。
壁があるように感じるかもしれないけど、勝ちたいって気持ちはマネージャーも一緒で、チームの一員だってマネージャー全員思ってるのね。だから、勝った時はみんなと同じくらい嬉しいし、負けた時はみんなと同じくらい悔しいし。そういうみんなと同じ気持ちを持って、いつも毎日練習のグランドいるんだよって少しでもわかってくれたら嬉しいなって。それはうちの部活だけじゃなくて、どの選手にも言えることだけど」。

優勝決定戦でSO戦のゴールを守り抜いた武田(文3)に駆け寄る相川。選手と同じ温度で勝利がうれしかった

相川のモチベーションの源には、先輩プレーヤーからの「たーちゃんが今まで一番頼れるマネージャーだった」という言葉がある。もっと頑張ろうと心に火が付いた。しかし、4年生は頼る存在はおらず、信頼されて当たり前、全部の仕事を完璧にこなせて当たり前になった。
そこで相川は、もっと一人一人のことをみようと、今までのビデオを全て見返した。それまで公式戦のビデオは見返していた。しかし、練習試合や紅白戦はみていなかった。それからは、動画がアップロードされたら直ちに確認し、選手たちが1年生時のも見直した。「ビデオをめちゃくちゃ見たわけよ(笑)」。

その研究の中で気づきがあった。「少ししかドリブルで進めてなかった人がさ、端から端まで抜けるようになったり。怖くてディフェンスに当たりに行けなかった人が、こうちゃん(=中田)のドリブルを止めてたり。みんな成長してるのはわかってたけど、この人はこういうところが伸びてきているんだなとか分かってきて」。
その〝気づき〟から、練習中に一人一人をみることに気を配った。練習後の自主練は、いつもならマネージャーは帰宅する。しかし相川は、少しその様子を見て「誰がどんなことをしてるかを見てから帰るように」なった。すると、公式戦で如実に表れた。田沢(コ3)が自主練してきたリーバースヒットを決め、得点したのだ。相川はその結果に、「点を決めたことよりも、マッキー(=田沢)が自主練であれをめちゃくちゃやってたから、それで点を決めれたっていうのがめちゃくちゃ嬉しかった」。一人ひとりを見続けたからこそ、1点の喜びも変わった。

優勝決定戦後、集合写真撮影時の相川(前列右から2人目)

ホッケー部男子の良さとは

最後に、ホッケー部の良さを尋ねた。「ホッケーは、大学スポーツだからみんながゼロの状況じゃん?だからこそ、成長を全て見届けられるのがこの部活のいいところかなーと思うかな」。
そして、毎年恒例の〝あなたにとってホッケーとは?〟を色紙に書いてもらった。「悩む…」と言いながら、考えること数分。彼女は、美しい字で「日常」と書いた。自分のことは後回しで、4年間全てをホッケー部にかけてきた。彼女だからこそ、書ける言葉だと感じた。(3月31日/小林桂子)

悩んだ末、「ホッケーとは」に日常と書いた相川。最後は、涙ではなく笑顔がこぼれた

◇編集後記◇
私がホッケー部に出会ったきっかけは、相川だった。彼女がホッケー部の新歓食事会に誘ってくださり、ホッケーを知った。私は記者という選択をしたが、彼女のことを、そして彼女が必死に向き合うホッケー部というチームを取材できたことを、心から誇りに思う。相川は新たなフィールドでも、彼女らしく歩むと記者ながらに確信している。
彼女の門出を心から祝したい。相川マネージャー、卒業おめでとうございます。

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