【アイスホッケー部】『4年生卒業記念~もうひとつの氷上奮闘記』#8・本当の強さを教えてくれたのはあなたでした

試合後、リンクを後にする篠原

心から“すごい”と思える選手に出会った。篠原寛治(社4)。非の打ちどころがないような彼の四年間を追った。

その人は、まさにスーパーマン。端整な顔立ちから、付いた異名は“立大の松本潤”。他大学のチアさえ魅了してしまう。

小学生の頃はシンガポールに住み、野球やソフトボール、サッカーやテニスに明け暮れた。野球ではシンガポール選抜でキャプテンを務め、多国籍なチームメートをまとめ上げる。

大学進学を機に新しいことに挑戦しようと、高校まで続けた野球を辞めアイスホッケー部の門をたたいた。未経験者にも関わらず2年の春から試合に出続け、4年次には満場一致で副将に。天性のリーダーシップを発揮し、経験者と未経験者の橋渡し役を務めていた。

その人は、いつも冷静だった。毎試合後には、客観的にチームを見て改善点をあぶりだす。さらには昨年の入れ替え戦。2Pで同点に追いつかれ、試合の主導権は相手に。絶対に勝たなければならない試合。選手たちの思いははやる。だがフェイスオフの直前、氷上の彼は仲間に向かってなだめる手振りを送っていた。

けれどもその人は、親しみやすい。試合後のインタビューにはいつも気さくに応じてくれるし、戦術について聞けば丁寧に、他の選手のことについて聞けばユーモラスに語ってくれる。そのうえ私たちの名前だって覚えてくれるので、インタビューに行った弊部の部員たちはみんなご機嫌で帰ってくるほどだ。

一見すると、完全無欠。だが、それはその人のほんの一部にしか過ぎない。

その人は、ずっと戦っていた。デビュー戦は同期の中で一番遅かった。初めて味わう悔しさから、一人で練習に打ち込む日々。アルバイト前の1時間さえリンクに赴き、スケートの練習を重ねた。2年の春に念願の初出場。そこから徐々に出場機会も増えていく。

だが、常にプレッシャーがまとわりついた。チームの足は引っ張れないという思い、試合に出ていない同期や応援してくれる両親への申し訳なさ…。月日が流れても重圧の正体は様々に変わり、試合に出ることへの恐怖心に苛まれ続けた。

けれど、憂いを溶かすほどにその人は熱かった。泥臭さを体現したようなプレースタイルで、誰よりも速くパックを追い、誰よりも多くチェックに行く。ホッケーで負ったケガは数知れず、時には相手選手に暴言を吐かれることだってある。それでも、全力でリンクを駆け抜けた。根底にある思いは揺らがない。「見てくれる人に応援される選手になりたい」。

同時にその人は、後輩への愛ある厳しさを持っていた。「どんなに上手くても、意見を言わない選手はいる必要がない」。時折発した鋭い言葉。しかし、その裏には後輩の未来を思う気持ちがある。部員一人一人に向き合い、全員が発言できる環境づくりに努めた。「大学の四年間では終わらない、社会に出てからも活きる経験を積ませたい」。その人が見据えていたのは、試合での勝利だけではなかった。

卒業後に挑むのは、社会人Sリーグ。競技の継続を希望し、トップリーグに身を置く予定だ。「大学から競技を始めた人たちへの一つの指標になれれば」。厳しい環境なのは百も承知。その人は、どこまでもストイックで後輩思いだ。

華々しい経歴の陰で苦悩を抱え、クールに情熱を燃やす。サービス精神の裏には、人に対する底知れない愛情がある。人間味あふれるその姿は、まさに“応援される選手”そのものだった。

(3月31日 取材・編集:久保田美桜)

相手DFに阻まれながらもドリブルをする篠原

 

~編集後記~

寛治さんへの取材はいつも本当に楽しかったです。強くて優しくて面白くて…3年間の記者生活の中で様々な選手に会ってきましたが、その中で一番近い存在でいてくださったような気がします。すべてにおいて尊敬できる人でした。引退を迎える年に寛治さんのような選手の取材をすることができたこと、最後の記事を書くことができたことは、私の最大の誇りです。これまでありがとうございました。これからもいろいろなお話聞かせてくださいね!

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